甲府簡易裁判所 昭和33年(特ろ)10号 判決 1959年3月20日
被告人 久保田花子
大二・四・二八生 無職
主文
被告人は無罪。
理由
一、本件公訴事実は、起訴状並に予備的訴因の追加申立書記載のとおりであるからここにこれを引用する。
二、右公訴事実の中、(一)清水千秋、輿水勝市の両名が、公訴事実記載の日時、場所において現金三千円及び煙草光十個を、被告人に対し右記載の趣旨のもとに被告人の内縁の夫小野宇孝に手交されたい旨依頼し置いていた事実、(二)被告人は当時右金品について右の趣旨を認識していた事実は証人清水千秋、輿水勝市の当公廷における各供述、右両名の検察官に対する各供述調書謄本、被告人の検察官に対する供述調書によつてこれを認めることができる
三、しかし、公職選挙法第二百二十一条第一項第四号もしくは第五号所定の罪が本件について成立するためには、更に、被告人において前示本件金品を自己の所有とする意思で受領するか、もしくは前記小野に手交しその所有に帰せしむべきものであることを認識して受領するか、いずれにしてもこれを受領したことを要するのはいうまでもないところ、右受領の点については証明が十分でない。即ち(一)被告人が前示の際本件金品を前記両名から受取つた事実を直接証明するに足る証拠は存しない。(清水千秋、輿水勝市の検察官に対する供述調書中には被告人がその際本件金品を受取つたかの如き供述記載の存するものもあるが、右供述は必らずしも明確十分でなく、右両名の当公廷における後掲供述に照らし措信できない)(二)尤も被告人はその後本件金品を返還することなく数日後これを居宅の庭に埋め、捜査官に自供するに至るまで約二ヶ月間そのまま隠匿していた事実が証拠上明白であつて、この事実は特段の事由の認められない限り受領の意思を推認させる有力な証拠というべきである。しかるところ被告人は右隠匿の事実について終始「自分は平素小野より留守中他人から金品を受取ることを固く禁じられていた。それ故本件金品の受領も拒んだのであるが置去つてゆかれたのでその後はただ小野に発見されないようにとばかり考え、処置に窮して隠匿したものであつて、受領するつもりは毛頭なかつた」旨弁解している。しかして被告人が平素小野より右弁解の如き厳命を受けていた事実は証人小野宇孝の当公廷における供述によつてこれを認めることができ、又証人清水千秋、輿水勝市の当公廷における各供述によると被告人は当時小野が不在であつたのでその旨を告げて本件金品の受領を固辞したのに拘わらず右両名においてこれを玄関上り口に置去つていつたものである事実が認められる。これらの事実と証人小野宇孝及び被告人の当公廷における各供述によつて認められる被告人は小野と結婚して七年になるが未だ入籍していず、連れ子をしている上、病弱のため家業の農に従事できない等の事情から何か事があると内縁関係を解消されるのではないかと内心常に苦慮していた事実その他諸般の証拠を綜合斟酌すると、被告人が前示の如く本件金品の受領を固辞したのは単に表面だけのことではなく真実受領の意思なくして為したものであり、且隠匿の挙に出でたのは右拒絶にも拘らず置去られた結果、前示の如き事情からひたすら小野に発見されないことのみを慮つて処置に窮し前後のことにも深く考え及ばずに領得の意思なくして為したものと認めるに相当の理由があり、従つて前記弁解を虚偽のものであるとして排斥することはできない。よつて結局前示隠匿の事実を以ても受領の意思を推認することはできない。(三)他には受領の意思を推認するに足る適確な証拠が存しない。
四、よつて本件公訴事実は、各訴因について前示の点において犯罪の証明がないことに帰するから刑事訴訟法第三百三十六条に従つて主文のとおり判決する。
(裁判官 内藤正久)